障がいは「支援の必要さ」を気づかせる言葉

ある保護者の方からお手紙をいただきました。
学校で落ち着いて勉強ができず、友達ともトラブルが続くので、
先生の勧めで発達相談にいったところ「発達障がい」の疑いを指摘されたそうです。
その方は「障害」という言葉に、大きなショックを受け、そのご相談でした。

確かに、「障害」とか「障害児」という言葉は、親には、
わが子の存在を否定されるような意味合いがあるのでしょうね。
以前に、何度もお話ししてきたことですが、もともとこの言葉の必要性は、
その子の特徴を理解し、よりよい支援をするために使われるべきなのです。
何かみんなとは違う、別の種類のものといった
誤った考えに導き易いという響きがあるのかもしれません。

その背景には、これまで「障害」というと、(1)からだの障害、(2)知的発達の障害
というとらえ方がありました。

からだの障害には、盲やろうがありますが、その中間には弱視や難聴があります。
また、歳をとれば字が見えにくくなったり、聴こえにくくなったり
といったこともあるので、こうした身体の障害の状態については、
比較的理解しやすいかもしれません。
眼鏡や補聴器を使っている人をことさら障害があるとはだれも言いません。

知的発達の障害は、身体の障害と重複することもありますが、
軽ければ、外見的には見分けにくいかもしれません。
知能検査といった心理検査によって、ある程度その状態を推定することができます。
もともと「特殊教育(現在は、特別支援教育と呼ばれます)」という考えは、
一般の教育課程では十分に効果を上げられない子どもたちには特別な教育課程、
つまり特殊教育によって、その子にあった教育をするという目的がありました。

でも、こうした子どもたちの状態は連続しているわけで、
どこに線を引くかが難しいのです。
いったん線を引くと、「障害者」と「障害のないひと」の
2つのグループがあると思いがちです。
それは支援が必要な人と必要でない人の2つのグループがあるという
単純な分け方にもつながります。
ここに大きな誤解の源があります。

現実には、状態は連続しているので、たくさん支援が必要な人、
少し支援が必要な人、時々支援が必要な人、ほとんど支援を必要としない人位の
分け方のほうが分かりやすいと思います。

障がいは「支援の必要さ」を気づかせる言葉なのです。
最近使われるようになった「発達障害」のある子どもは、
「軽度の障害」とか「中間児」といった呼び方もされます。
つまり、なんらかの支援をする必要性がある、ということから生まれたわけです。

カズ先生は、誤解を招きやすい「障害」に代わる、
「支援の必要な」という使い方を意味するよい言葉がないかなと常々思っています。

2011年6月15日 09:41 | | コメントを読む (1) | コメントを書く


コメント

いつも先生のブログに元気をいただいています。以前娘が専門学校への進学への不安にコメントをいただきました。数字が苦手な娘にとってカロリーなどの計算は苦痛以外の何者でもないようです。日に日に顔が険しくなっているような気がします。娘が「人と感じ方が違うことが今は苦痛だから、自分がいったい何なのか検査受けた方がいいかなあ」と言われました。音楽や体育が苦手な人、数字が苦手でもいいじゃないといってきました。しかし検査を受けると楽になるのなら・・・とも考えています。小学生の頃一度は受けています。多分LDでしょう今進路を変えたほうがよいのではと思っています。大好きな製菓の学校ですが・・・先生やはり、きちんと検査を受けて違う進路を選らんだ方がよいのでしょうか?迷ってしまいます。取り留めのない文章になってしまいました。

Posted by: さくら | 2011年6月21日 21:10


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