親子に想う

ここ三年間、何人かの友人と川柳の同好会を作った。
もちろんぼけ防止というか、頭の体操みたいなものです。
毎月、自由題(雑詠)3句と、世話役が決めたお題(題詠)の3句をひねり出し、
それらを詠み人を伏せて互いに評定しあい、その集計結果を後でみんなで楽しむという、
他愛のないものです。

川柳も狂歌も俳句もよく区別できない素人ですから何もわかりませんが、
季語のない俳句、人生のおかしみやちょっとした機微を読み込むのが川柳と思って、
仕事の合間合間に隙間を見つけては創作に励んでいます。
たまたま先月、珍しく仲間内で最高点をとったのが次の句です。

親が逝き俺も子どもでなくなった (一彦)

親がいるときは、いくつになっても子どもは子どもなのですが、
親が死ぬと自分を子どもとして見てくれる人がいなくなるという当たり前の現実を、
親が亡くなってから初めて気付くという心境を詠んだものです。

人生にはいろいろな出会いと別れがあります。
「こんにちは♪ 赤ちゃん♪」
親子の最初の出会いは感動的です。
おなかを痛めるという言葉通り、どうしても子どもと母親の絆は強く、
父親は母親に勝てません。
当然と言えば当然なのですが母子の絆というのは、
まさにへその緒のつながりに象徴される絶対的なつながりのようです。

私程の歳になりますと、親の訃報はもう珍しくありません。
むしろ、そこまで親子でいられたことに感謝しなければならないと思います。
それでもいい歳の男が母親を亡くして,結構、その喪失感にどっぷり浸かっている姿、
情けないけれど共感できます。

無条件に、自分を見つめ続けてくれた母親がこの世にいなくなると言うことは、
ぽっかりとした心の穴の空くことでもあります。
奥さんがいるからいいじゃないのとは言われるものの、やはり母と妻はちがうのです。
こうした母と息子の強い絆を「マザー・コンプレックス」などと揶揄する人がいますが、
むしろこうした母子の強い絆が根底にあって、人は人を信頼し、
社会的な存在として育っていくのだと思います。
程々のマザコンはむしろ正しい姿なのだと思います。
やがて、この感情は老いとともに妻への依存や甘えを伴う
愛おしさへと替わっていくのかもしれません。

というわけで、決してぺたぺた張り付く「濡れ落ち葉」とか、
我が家の「生ゴミ」などと言ってはいけないのです。
男なんていくつになっても甘えん坊なのですよ。

最後にもう一句

指先であなたの気配確かめる (一彦)

2012年2月 8日 09:50 | | コメントを読む (0) | コメントを書く


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