みんなLDから教わった

『人生で必要なことはみんな幼稚園の砂場で教わった』
という本を昔読んだことがありました。
私が4年前35年勤めた大学を去る時の最終講義で、
『人生で必要なことはみんなLDから教わった』というセリフを使いました。

今日は、本年の結びとして、
私自身がLDから教わったことは何かについてお話したいと思います。

まず、LDはインビジブルな(見えない)障害であるということです。
障害というと、目や耳、あるいは手足など、身体の障害や、
知的発達の遅れなどの知的障害が頭に浮かびます。

LDなどの発達障害は、知的(認知)能力の一部に
バランスの悪さや調子の悪い部分があるのが特徴なので、
障害としては理解しにくい、分かりにくさがあります。

LDなどを軽度の障害ということがありますが、確かに目立たない、
部分的な不具合だから、障害としては軽度といえば軽度なのですが、
分かりにくさから対応が遅れたりしがちです。
本人自身、自覚もないままに不全感から自信をなくしたり、
親や先生などからも、的外れな注意や小言を言われがちといったこともあるので、
そうした難しさから決して軽度とは言えないともいわれます。

次に、LDはこれまでの障害というイメージからいえば、
障害と健常の中間的な位置にあることも事実です。
これまで何度も言ってきたことですが、
障害児と健常児という2種類の子どもたちがいるわけではありません。
たくさんの支援を常に必要とする子どもから、少しだけ支援のいる子ども、
たまに支援を必要とする子どもまで連続しているという理解が大切です。
そういう意味で、LDは障害と健常の架橋(橋渡し)をする役割があり、
障害をスペクトラム(連続体)で考えるよい例なのです。

最後に、長年LDなどの特徴のある子どもたちの理解と支援に携わってきた立場から、
『支援やサービスは利用しやすく、効果がなければその名に値しない』ということです。
発達障害者支援法の成立、それに続くさまざまな関連する法律のなかでの
「発達障害」の書き込みが進みました。
これらの法律が子どもたちのために活かされるには、
この言葉をいつも忘れてはいけないのです。

★安心して子どもを任すことのできる学校
★安心して歳をとっていける社会

これこそが、私たちが求め、願うゴールであるということを、
私はLDから教えられました。

2012年12月26日 08:46 | | コメントを読む (0) | コメントを書く


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