「障害」から「個性」へ

「障害」という言葉を使わない方向が、最新のアメリカの医学診断書「DSM-5」の翻訳でも進んでいるようです。

言葉というものはその国の歴史や文化、つまりは人々の考え方そのものを反映するものなのでこうした動きは大切です。

これまで使ってきた「障害」は、障害のある人(支援の必要な人)と、障害のない人(支援の必要のない人)という2種類の人がいるように考えさせがちです。
それがさまざまな偏見の背景にあります。
なかには支援は必要だが、そうした障害というグループには入りたくない、入れられたくないと感じる方も多かったと思います。

LDやADHD、自閉症スペクトラムなどの発達障害の場合、とくに知的遅れがあまり目立たない子どもの場合は、これまでの障害というイメージではなく中間的な存在ともいわれます。

支援の必要さは、それぞれの子どもにとって連続しています。
障害という名称がその支援を受けにくくさせているのでしたら、「個性」と言い換えてもいいのではないでしょうか。
知的障害も発達障害も、個性的存在であって、その特徴をよく理解し、子どもたちが自立し社会に参加していくのに必要な支援を、その発達段階で常に考えていかなければならないのです。

「障害は理解と支援を必要とする個性」というのが、私が長年主張してきた言葉です。
さまざまな個性があるゆえに、より深い理解や支援が必要とする個性もあるという意味です。

そうだとすれば、たくさんの子どもたちがその対象となるので、一部の子どもを「障害」という特別な存在として区分することもあまり合理的ではありません。
もちろん行政的には、そうした区分を必要とすることも理解しますが、それは人間を二分するものではないのです。
子どもと大人の料金があっても、連続する年齢のなかで線を引いただけです。

発達だって、子どもはこう、大人はこうと分けたがりますが、人間として区別はしませんよね。
その大切さ、存在に差はないのです。
ちょっと大胆な意見ですが、「特別支援教育」から、特別を取った「支援教育」でいいのではないかと思っています。
みなさんどう思われますか。

2013年9月 4日 08:58 | | コメントを読む (1) | コメントを書く


コメント

 賛成です。
障害という言葉で過剰反応が起きます。

発達のバランスが悪かったり、環境の変化で困っていたりしても、「○○障害」とつきます。障害と言われるだけで、、親は不安になったり、周囲は過剰に反応したりします。
成長すれば、バランスが悪くても、支援なしで生活できる子供もたくさんいます。障害とされただけで、差別されたり、いじめられたりして、二次障害が起きることもあります。特に小学校高学年から、中学校の時は差別を受けやすかったように思います。

息子は高校生になり、初めて自らの問題に向き合う姿勢が見えてきました。また、友人も子供の本質とつきあってくれるようになってきたので、彼の障害とされていた所を、個性とみてくれているようです。

初めから障害としなくても良いと思いますし、特別はいらないと思います。困っている子供に支援をして下されば助かります。

Posted by: そらまめ | 2013年9月16日 20:01


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